實性寺

實性寺のいわれ

實性寺のご紹介

ご本尊阿弥陀如来坐像ご本尊 阿弥陀如来座像浄土宗寺院にて、暁月山 林松院 實性寺(ぎょうげつざん りんしょういん じっしょうじ)と称します。
創建は延徳元年(1489年)で開山上人は、芝・増上寺第五世となられた天譽了聞上人です。
開基は北条氏岩槻城斉田左ヱ門尉頼康公です。
江戸時代に入り二代将軍秀忠公、三代将軍家光公が御成になられたお寺です。
徳川家より寺領を拝領し、朱塗りの門が許され三つ葉葵の御紋の使用が許された由緒ある寺です。代を重ね第二十九世現住職に至っております。
本尊は、明治の大火を免れた阿弥陀如来座像です。(平安時代末期作)
現在では茶道の道場も開き、「本物を伝えたい」本物の茶道を追い求める事がそのまま仏道修行であり、茶道を通じ寺院の役割・僧侶の使命をいつも意識させられる事が大事なことと考えています。

火災を逃れた貴重な墓

明治初頭の大火により、寺宝は焼失してしまいましたが、實性寺には火災を逃れた貴重な墓がいくつも残っています。

實性寺に現存する代表的な墓

油問屋滝沢冨右衛門

油問屋滝沢冨右衛門は、商売が隆盛を極め、油になる前の菜種が道端に落ち、一面菜の花で埋まったというエピソードがある。

西南戦争徴兵者 小林亀太郎

西南戦争では珍しく徴兵され、明治十年に二十二歳で戦死した。

算学者 金杉清三郎

木挽き職人から、束武蔵の算学の第一人者になった人で、多くの門人がいた。

儒学者 牧野隆幸

花又で牧野塾を開き多くの弟子を育て、その弟子たちが師の為に筆子塚を実性寺に建てた。その塚は区の登録文化財になっている。

西洋洗濯(クリーニング)業祖 遠山由蔵

明治元年に渡米、クリーニング業を修得し帰国、横浜に西洋洗濯第一号店を開いた。

チューリップの開発・栽培者 鴨下金三

大正時代の温室栽培の先駆者でチューリップでは日本初の開発と栽培に成功した。チューリップは足立区の花でもあります。

滝沢冨右衛門の墓滝沢冨右衛門の墓

儒学者 牧野隆幸の筆子塚儒学者 牧野隆幸の筆子塚

遠山由蔵の墓遠山由蔵の墓

鴨下金三の墓鴨下金三家の墓

實性寺の開基、斉田左衛門慰頼庸公の墓。法号は、實性院殿霊山暁空大居士實性寺の開基、斉田左衛門慰頼庸公の墓。法号は、實性院殿霊山暁空大居士

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